Maru Tube

Oui, c'est noté !!

もののけ姫について

私の一番好きな映画について書きます。

Studio Ghibliの「princese Mononoke」です。

1600年頃の話です。自然界では、動物たちが山や森を守っていました。

ところが人間が発展して生きるために山や森を破壊するようになったのです。

そうして元々森の住人である動物たちは人間を恨み、街を襲うようになります。

 

<あらすじ>

北の外れに隠された民族が住む村があり、そこにアシタカという青年がおりました。

ある日怒りと苦しみを伴った巨大なイノシシが現われその村を襲います。アシタカがイノシシを弓で殺すのですが、その際イノシシから呪いを受けます。それは死に至る呪いです。イノシシの体内からみつかった鉄の塊が呪いを解くヒントだと、アシタカは旅に出ます。

 

旅の途中で知り合った人物から、これより西に巨大な動物が住む神々の森があることを聞き、アシタカはそこに向かいます。

 

西の森ではその森を破壊して街を作り始めた人間と先住の動物たちが互いに憎み合い、戦おうとしていました。

アシタカは西の森に到着し、一人の少女と巨大な山犬を目撃します。のちにその少女が、山犬に育てられた「もののけ姫」と呼ばれ、彼女は動物たちと共に人間を憎み殺そうとしていることを知ります。

アシタカはたたら場という街を訪れます。そこは鉄から武器を作り、それを売ることで人々が生活し、豊かでした。たたら場のリーダーである烏帽子は女性や病気の人間に仕事を与えるなど人間には優しい女性ですが、街を大きくするために山を破壊して動物たちを殺すことは容赦ないのです。

 

ここに烏帽子ともののけ姫率いる動物たちの戦いがあるのです。

 

アシタカは人間と自然の両者に共存できないかと問いかけ、戦いを止めようとしますが、残念ながら戦いは始まります。

動物たちは人間に体当たりで突っ込んでいき、人間はそれらを爆弾で吹き飛ばし死んでいきます。人間の文明の方が優勢なのです。

 

同じ頃、烏帽子は仲間を引き連れて、獅子神の首をとりに森に入りました。獅子神とは森の生と死を操る神であり、その首は不老不死の薬になると信じられていました。

人間との戦いにより傷だらけになった動物とサンは、獅子神に助けを求めるため獅子神の森へ急ぎますが、烏帽子の狙いはここでした。

狙い通り烏帽子は獅子神の首を銃で撃ち飛ばし、それを仲間が持って逃げます。獅子神の胴体は首を探して森を死の森に変えていきました。

そしてアシタカとサンが首を持ったまま逃げる人間から首を取り返し、獅子神に返しましたが、生と死を操る獅子神はこの戦いにて死んでしまいます。

獅子神の死は、破壊された山や森を一瞬で緑豊かな自然に戻しました。

人間も動物も多くが死に、それぞれがこれから立て直していく、というところで話が終わります。アシタカは人間としてたたら場に住み、サンとは交流を持つと考えられます。

 

 

<サン>

彼女は赤ん坊の頃、人間が生贄として山に差し出され、山犬のモロが人間のサンを育てたことから、サンはモロのことをお母さんと呼びます。動物サイドに立ち、共に人間を恨んでいるのです。

 

<アシタカ>

彼は隠された古い村の時期王になるべき勇敢な男子でした。村を守るために、自ら呪いを受けたのです。呪いを解くために村を離れることになりますが、村の掟として、去る者を見送ってはいけない、そして村に帰ってきてはいけない、があったので、村を出ることは村を捨てることと同じです。古い村で老人が多く、若い青年がアシタカしかおらず、村としては存続の危機でした。しかし誰も村を救ってくれたアシタカが村を出ることを止めることはできないのです。その地域だけに生息するという赤獅子(ヤックル)と共に旅に出ます。

アシタカは終始平等で、人間にも動物にも忠誠の立場です。両者の共存を望んでいます。

 

<烏帽子>

彼女は物語の中では語られていないのですが、宮崎駿はこう言います。烏帽子は中国の役人に買われて妻になったが、その役人を殺して、金と銃を持って日本に戻ってきた、と。そして彼女は売られている女性や病気の人間を保護し、自分の街を作り、そこで鉄の銃を作るという仕事を与え、市民の生活を守っていたのです。たたら場はよく見ると子供がいません。しかし夫婦はいます。よって非常に新しい街であると予測できます。

街の市民はみな烏帽子を慕っていますが、欲が深く、時に自然に対して残虐です。サンは烏帽子を殺したがっています。

 

<獅子神>

巨大な動物たちが限られた地域での神であるなら、獅子神は自然界の神です。彼は生と死の両方を与えます。物語中では、アシタカには生を、モロと乙事主には死を与えました。また物語の最後には、自らが死ぬことで自然界に生を残しました。

昼の姿は鹿ですが、夜は自然をパトロールするデイダラボッチに姿を変えます。

 

<モロ>

巨大な山犬でサンの母親代わりでもあります。人間の言葉を話すことができます。彼女の体内には烏帽子によって作られた毒の鉄つぶてが残っており、その毒がやがてモロを殺すのではないかと、彼女は強そうに見えても常に死の恐怖と闘っている。森の神という立場、そして母という立場から、人間からそれらを守る使命があります。人間に捨てられたサンを拾い、育て、人間への憎悪は明らかです。モロの縄張りはだいたい中国地方の山ですが、四国から海を渡ってきた乙事主やアシタカに殺されたナゴなど、巨大動物である神々とは対等です。冷静で客観的。

 

<乙事主>

四国の山の守り神で、獅子神の森での騒ぎを聞いて、仲間のイノシシとともに海を渡ってやってきました。人間と戦うための援護だと彼は言います。同じイノシシの一族でありアシタカが殺した巨大イノシシのナゴがタタリ神になってしまったことを問題視しており、乙事主もまた悲しみ、人間を恨んでいる一人です。

 

 

私はこの物語にはいくつもの愛があることを知っています。愛があるから守りたい、守るために戦います。ここに欲深さが混ざって、バランスがわるくなると一気におかしくなるのです。

人間は徐々に文明が発展して、鉄を作り始めると、お金になって街が豊かになります。すると人間が人間同士で愛をもち、互いの生活を守りたいのです。烏帽子も市民に対して愛を持ちます。ところが彼女は欲が深かったために、自然界から憎まれることになります。

アシタカも愛する故郷を捨てなければならず、村民はみな悲しみました。アシタカは皆を愛し、皆も彼を愛していたのです。また彼の願いは呪いを解くことで、死の恐怖と戦っています。生きたい、以外に無駄な欲がなく、常に安定していました。

一方動物たちも愛で溢れており、自然への愛、家族や一族への愛が言葉の端々から感じられます。サンも自然に育ててもらった恩はあるでしょう。

 

私は話の終盤にたたら場の娘オトキが放つ「生きてりゃなんとかなる」の一言にメッセージが集約されているような気がしています。戦争や災害で生活を失っても、人間はその都度復興してきました。大事なものや人が死んで絶望の中でも、私たちは生きていてそして愛し守るべきものもある。深すぎる欲さえなければ、生きていればなんとかなる、なんとかしてみせるという、人間の強さを私たちは知っているのです。ハクナマタタ。