ジャンヌダルク終焉の地ルーアンでジャンヌダルク巡り
さて突然ですが
ルーアンといえばジャンヌダルク
ジャンヌダルクといえばルーアン
ですよね!
これ本当に、フランス国民の常識です。
ノルマンディー地方の首府ルーアンにはジャンヌダルクXXがたくさん。
ジャンヌダルク通り
ジャンヌダルク広場
ジャンヌダルク博物館
ジャンヌダルク教会
ジャンヌダルクの塔、などなどなどなど
お土産屋さんにはジャンヌダルクグッズも多いですよ。
へー!そうなんだー行きたーい!
…ってなりませんよね😂
え、てか、ジャンヌダルクって何?ダレ?
お察しします、私も知りませんでした。
『100年戦争のフランス軍を勝利に導いた国民的ヒロイン・ジャンヌダルク』
こんなキャッチコピーが言われています。
ジャンヌの生い立ち…は、まぁ置いといて…
まず彼女とルーアンの繋がり
ルーアンはジャンヌが「処刑された街」なんですよ。
公開火炙りで。
当時19歳。
な、なに?!
麗しき19歳の女の子が公開処刑で火炙り?!
一体この少女に何があったんだ?!
ではお答えしましょう、ジャンヌに何があったのか…
【ジャンヌダルク/ Jeanne d’Arc 】
1337年に勃発した100年戦争はフランス対イングランドの闘いでした。
フランスは数十年に渡り勝てておらずイングランドはほぼ勝利という状況。
1412年ジャンヌはこの絶望的な時代に
フランス東部の農家ダルクさん夫婦の娘として生まれました。
12歳の頃ジャンヌは「フランスを救いなさい」という神の声を聞きます。
神の伝い通りにフランス軍を率いて、絶望のフランス軍を逆転勝利へ導いた。
ところが彼女はフランス軍に捕らえられ、身代金と引き換えにイングランドへ売り渡されます。
「神の声を聞いたなどお前は魔女に違いない!」
魔術を使った罪、その他異端、男装など70の罪で告発され
有罪、死刑判決となりました。
さらにジャンヌの処刑は、火炙りでした。
その処刑は1万人の民衆にさらされました。
ジャンヌが火炙りされた場所、それがルーアンのジャンヌダルク広場です。
やっと出てきましたね、ルーアン!
広場って言うから楽しそうな場所だと思ってました、
そんな残酷な歴史を知るまでは。
灰になったジャンヌダルクはセーヌ川に撒かれました 。
なので墓はありません。
ジャンヌが処刑され、100年戦争が終戦したあと、調査により彼女は無罪だったと証明されました。
その後聖人になるまでは1431年に処刑されてから約500年かかったそうですよ!
1920年に彼女が聖人化されてから、ルーアンに教会が作られたり、通りの名前になったりしたんですね。
今から約100年前です。
なのでジャンヌ関連は他の建物と比べると若い建造物ということになります。
現代は多くの観光客がそこを訪れ、ジャンヌとフランスの歴史を学んでいるのです。
ルーアンは永遠にジャンヌを称えていく役目を負っています。
そんな歴史のあるルーアンです。
どうでしょう
フランスとジャンヌ、そしてルーアンは切り離せない繋がりなんですね。
ルーアンではジャンヌの歴史を知ることができます!
博物館もありますし、日本語のガイドツアーもありますよ。
フランス旅行中なら、パリから日帰りでもOK。
ちなみに5月の第2週にはジャンヌダルク祭りが行われます!
彼女のファンになったあなた!
ぜひ1度ジャンヌ巡りはいかがでしょうか?
※ルーアンの報告はこちら。